私は神様を信じてはいない。
しかし。
時々ではあるが、ほとほと困ったり不安な気持ちが高じると都合よく神様にお祈りすることがある。
この日もそうだった。

3月8日水曜日、明日の故A様の石垣島での自然葬を控え前泊するため石垣空港に降り立った。
天気が悪い。
天気図をネットで見ると等圧線が縦に込み合っていて前線が二つも通過中だ。
波は7メートルもある。これは無理かもしれないなと経験上思った。
ここまで来て中止になるといろいろ不都合が生じる。何とかならないかなとこの時はそれほどではなかった。(不安度30度)

石垣空港から乗ったタクシーの運転手の石垣さんに聞くと、明日も今日と同じかもう少し荒れるかもしれない。今日は西表の航路は欠航しているとのことだった。
石垣さんは私が石垣に来た理由など知る由もない。
これを聞いて私は気持ちがざわついてきた。(不安度50度)
私は以前石垣島には来たことがあるので、今回はフェリーで15分ほどの竹富島に宿を取ったのだ。
明日フェリーが欠航しなければいいけどと心配になってきた。
竹富には無事到着し早めに布団にもぐっていると、安普請の宿の窓が強風でガタガタ揺れだした。部屋にテレビがないので天気予報が見られない。スマホの天気予報が頼りだが波は5メートルの予想だ。

微妙。
眠れずにいると明日の成り行きが最悪の結果になる。
竹富から石垣に向かうフェリーが欠航になったのだ。
当然石垣から出る自然葬の船も欠航になった。親族のFさんと後見人のHさんとすすめる会の立会人Sさんが協議の上、湾内ぎりぎりにまで船を出して近くで散骨しましょうとのことになった。
3人は石垣市内に前泊したので、集合場所までは普通に来れたのだが肝心の遺灰を持った私が石垣に行けないでいる。
どんなに謝っても私の判断が間違っていたのだ。
なす術がない。
ここで目が覚めた。
強風が吹き荒れる明け方、私の不安度はマックス100になった。
「ああー神様、何とか今日は風が収まりますよう、船が出ますようお願いします」
ほとんど眠れずに朝を迎えた。

集合時間10時40分。
Sさん、Fさん、Hさん、吉澤が集まった。

空を見上げると見る見るうちに天候は回復し、鉛色の雲の塊は少しづつ隙間を作り陽の光が差してきた。
さっきまですぐそこに白波が立っていたのに波が緩くなってきたのだ。
11時10分Aさんご夫妻の遺灰は、遺言通り無事石垣の海に眠ることができた。