6月26日
埼玉県飯能市と言ってもほとんど秩父に近い山の奥に住んでいたS様は息子はいるものの何か事情があるのだろう、火葬の時も姿はなかった。
足が不自由で、私が何度か訪問した時も、ピンポンしてからしばらくして玄関近くで「開いてるからどうぞ」と声がした。
「赤城の山のふもとに別荘地を持っているので、そこに撒いてほしい。」
4月に亡くなってもう2か月がたちもういい頃と判断し赤城に向かった。
バブルの頃に販売したのだろう、敷地のほとんどが草が生い茂り人が生活している空気がない。S様の土地もどこまでが境かわからない。無難な場所を見つけ遺灰を撒いた。
結局ここに住むことはなかったが最後の最期に終の棲家にたどり着いたのだ。