2023年11月5日

私が自然葬に携わるきっかけとなったのは、朝日新聞に掲載された論文をたまたま目にしたことだった。
90年9月24日「論壇」に「遺灰を山に」は違法かーー規制なく先入観で「葬送の自由を失う」という投稿でだった。
筆者はのちに「NPO法人葬送の自由をすすめる会」を設立した安田睦彦さんだった。
石原裕次郎が死んだとき、兄の石原慎太郎が「海が好きだった弟の骨を太平洋に戻してやりたい」と希望したが、それは違法のように当局から言われた。然しそれは「本当にそうか」と安田さんは問題提起をした。
その法的な論拠は「墓地埋葬等に関する法律」は「焼骨」の「埋蔵」は都道府県知事の認めた墓地以外では許されないと規定していて、遺灰を「撒く」行為は想定していないので、同法の対象にはならない。
刑法190条の「死体遺棄罪」の対象となる「遺骨」は土葬を前提とした「生の骨」を指し、火葬後の「焼骨」と違うので死体遺棄罪は適用されないとの主張だった。
さらには日本では古来、例えば淳和天皇が「林野に撒いて墓は作るな」と遺言した。万葉集にも散骨を読んだ歌がある。江戸時代半ばまで、遺体は海や山に捨てていた歴史がある。誤った先入観で、葬送の自由を失っているのではないかという主張だった。
このように歴史的な事実を例証にあげ、散骨を認めない風潮を批判する内容に私は衝撃を受けた。


葬送の自由をすすめる会の発足と発展

そのころの私は決して死は身近なものではなかった。
ただ、墓制度や葬式仏教には確かに違和感を持っていた。
世の中の奇妙な習慣や常識に対して反感を持っていた。
そして何より、安田会長の主張に共鳴してその活動に興味を持った。
当時私は漫画同人誌の制作の仕事をしていて、仕事は順調だったし、時間の都合も調節できる立場だったので、何か役に立つことがあれば協力したいと申し出た。
会長夫妻も快く受け入れて下さり、以降葬送の自由をすすめる会の揺籃期に理事として深くかかわるようになった。
その年の10月5日葬送の自由をすすめる会の自然葬が相模湾で日本で初めて開催され、マスコミにも大きく採り上げられ大きな話題になった。
当時葬送の自由をすすめる会の事務所としては特になくて、会長の自宅で電話対応をしていたようで、これではいけないという事で私の事務所の3分の一をパーテーションで仕切り、会の事務所に提供をした。
連日電話が鳴り、マスコミもどかどか取材に訪れ会の勢いを感じた。
この会は必ず大きくなり、自然葬が日本の葬送の常識になるかもしれないと感じた。

葬送の自由をすすめる会会員数は着実に増えて軌道に乗り出した。
そんなとき、自然葬の実績を積むのはもちろん大事なことだが、その前の段階、つまり火葬に関することや、散骨するための遺骨の粉末化も誰かやらないといけないのでは、という話がしばしば持ちあがった。
当時の理事役員は弁護士、大学教授、定年退職者など、意見は言うものの、実際現場でそんなことはできようはずはない。
私が一番若かったせいもあり、自ら手を上げた。
仕事として面白そうだったし、やりがいもありそうだった。
しかしこれはボランティアでやることではないと思い、適正なサービスを提供し、適正な料金を頂く法人がふさわしいと思った。
安田会長も了解してくださり、試行錯誤を重ね乍ら何とかスタートしたのだった。
こんな経緯で1994年11月木霊と凪はスタートして、今年今月で29周年を迎えた。
私は今年70歳になったが最低でも75歳、希望は80歳までは仕事をしたいと思っている。

2023年11月2日 葬送の自由をすすめる会安田睦彦初代会長鬼籍に入られる。11月5日千葉県浦安市斎場にて、長女、次男と吉澤と3人で見送った。